EXHIBITION SPACE C

展示室C

清津峡のご紹介

Encounters with nature and culture
自然・文化との出会い

How the Kiyotsu Gorge was formed
清津峡の成り立ち

かつて清津峡は、海の底にありました。日本列島がユーラシア大陸から離れたときにできた大きな大地の裂け目であるフォッサマグナに位置していたのです。 1600万年前、地殻変動にともない海底火山が活発となり、火山灰が海底に降り積もりました。その火山灰が火山活動による熱水で変質し、緑色凝灰岩(グリーンタフ)が形成されました。 そして、約500万年前に緑色凝灰岩の地層にマグマが流れ込んで冷え固り、柱状節理になりました。その後、海底が隆起し陸地となり、浸食により削られ、現在の清津峡ができました。

国の名勝・天然記念物

清津峡は、昭和16(1941)年4月23日に国の名勝及び天然記念物に指定されました。雄大な柱状節理の岩肌と清津川の急流が迫力のある景観です。

柱状節理って?

500万年前に緑色凝灰岩(グリーンタフ)の地層に地下からマグマが流れ込みました。そのマグマが冷えて固まる際に体積が収縮し、4~6角形の割れ目ができて柱のようになります。これを柱状節理といいます。清津峡の柱状節理は、清津川に浸食され、現在の姿になりました。

Feel the Earth’s Energy
大地のエネルギーを体感

清津峡小出温泉

今から約330年前の元禄年間(1690年)ころ、山の岩間から湯気がたっているのが見られ、岩間をつたって清津川へ流れ落ちる源泉があったと伝えられています。
今では清津峡温泉街の温泉の他、ぺリスコープの足湯に使用され、気軽に利用することができます。

清津峡温泉 瀬戸口の湯

この温泉は、その昔奥の山村を托鉢に歩いていた旅のお坊さん(弘法大師)が一晩泊めてもらった農家の主人にお礼として授けたものと伝えられています。この温泉に入った妻はたちどころに病気が治り、他の村人も病苦を逃れたという伝説が残っていることから「弘法の授け湯」とも呼ばれています。

Natural environment
自然環境

多雪に順応した植物

世界有数の豪雪地である十日町市。そこには、雪国特有の植物が多く見られます。ユキツバキのように多雪の重さに耐えられるように枝や幹の性質が変化したものや、多雪に守られることで、現在まで保存されてきたシラネアオイのような日本の固有種があります。

清津峡付近は、岩壁が急峻で雪崩が多く根が張りにくいため、背の高い木は生えません。斜面は雪の重みに耐えられる弾力性のあるツツジやタニウツギなどの低木が多く生育しています。

水の中の生きもの

清津川は川底が見えるほどの清流でイワナやヤマメ、カジカなどの渓流魚が生息しています。

トンネルの入り口ではカジカガエルの鳴き声がしたり、近くの沢や林ではいろいろな種類のカエルやサンショウウオが生息しています。

空・ 陸上の生きもの

鳥類では、イヌワシ(国の天然記念物)、アカショウビン、カワセミ、ヤマセミ、サンショウクイ、カワガラスなどが見られます。

哺乳類では、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカやヤマネの他に、ツキノワグマ、ニホンテン、タヌキ、アナグマなどが見られます。ごくまれに清津川沿いの道から、対岸で水浴びをするニホンカモシカを見ることができます。

Snow Rich * Stories
豪雪に育まれた歴史・文化

世界有数の豪雪地として知られる十日町市。
人々は雪と闘いながらもその恵みを生かして暮らし、雪の中に楽しみも見出してこの地に住み継いできました。
ここには、豪雪に育まれた「着もの・食べもの・建てもの・まつり・美」のものがたりがあり、令和2年(2020)に日本遺産に認定されました。
十日町市は、真の豪雪地ものがたりを体感できる究極の雪国です。

着ものがたり

雪国の冬は湿度が高く、乾燥を嫌う麻織物の糸を扱うのに適し、冬仕事として古代から上質な麻織物「越後布」、江戸時代にはこれに改良を加えた「越後縮」が生産され、越後縮は幕府や大奥でも愛用されました。
明治時代になると生産の主流は麻織物から絹織物へと劇的に転換し、農家の副業から工場制の工業へと生産構造の変革が起こり、現代へと続いています。現在は工場見学や体験も行われ、人気を集めています。

食べものがたり

豪雪地の長い冬を凌(しの)ぐため、この地域の人たちは春から秋までに採れた食料を乾燥や塩漬け、雪中保存などで備蓄し活用します。雪国の風土や地形を生かした稲作も盛んで、「魚沼コシヒカリ」はこの地域を代表する特産です。
また、織物の糸の糊(のり)付けに使う海藻「布海苔(ふのり)」をつなぎとして加えることで、独特の食感と強いコシ、抜群の風味が生まれる「へぎそば」は当地の名物になっています。

建てものがたり

冬になると一日の大半を家で過ごす雪国の人々にとって、建物を雪から守ることは極めて重要な永遠のテーマです。
太い柱や梁を用いて強固な構造にすることはもちろん、急勾配の茅葺屋根や梁を伸ばして深い軒先をつくる「船枻(せがい)造り」などの建築様式は、先人たちの雪との闘いの歴史を表しています。
現在、市内で普及している、居住部分を2・3階に配した高床式の住宅や、落雪・融雪屋根の建物は雪と闘い共生してきた人々の知恵と工夫の結晶です。

まつりものがたり

十日町市では、新婚の男性を雪の中に投げ落とす「婿投(むこな)げ」をはじめ、雪国ならではの伝統行事が行われています。
世代を超えて継承されてきた技術と経験によって市民自らが精巧な雪像を制作する「十日町雪まつり」は昭和25年(1950)に「雪を敵とせず友としよう」という自発的な発想から生まれました。
雪国の厳しい冬の暮らしを少しでも明るくしようと、十日町市の白い冬は雪に親しみ、雪を楽しむ様々なまつりやイベントで鮮やかに彩られています。

美ものがたり

棚田が広がる里山や、薪炭林として利用されたブナ林「美人林」は四季の移ろいによって全く違う表情を見せ、その風景からは、豪雪地の人々の知恵とたくましさを感じることができます。

また、冬の静寂の中で研ぎ澄まされた雪国の人々の感性は、5,000年の時を経てなお、人々を魅了してやまない圧倒的存在感の「火焔型土器」や、古代から時代を捉えた意匠で人々に愛されてきた十日町市のきものなどを生み出してきました。