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清津峡のご紹介

清津峡のご紹介

黒部峡谷(富山県)、大杉谷(三重県)とともに日本三大峡谷の一つに数えられている「清津峡」。
清津川を挟んで切り立つ巨大な岸壁がV字型の大峡谷をつくり、
雄大な柱状節理の岩肌とエメラルドグリーンの清流が、訪れる人々に深い感動を与えます。

日本有数の景勝地「清津峡」の誕生から歴史、そして現在の「清津峡渓谷トンネル」に至るまでをご紹介いたします。

清津峡の誕生

1500万年前
海底火山の噴火活動により、火山灰が海底に降り積もる。
化学変化で緑色が変色。緑色凝灰岩(グリーンタフ)※1の形成。

700万年前

緑色凝灰岩の地層に地下からマグマが流入。
冷えて固まってひん岩※2ができ、冷える際体積が収縮して、柱状節理※3という構造になった。
その後、地表の動きが活発な時代を迎え、海底が隆起して陸地の山となり、清津川によって削られ、地下のひん岩の柱状節理が谷底に顔を出した。
この谷間が深くなり、現在の清津峡ができた。

清津峡の岩崖は柱状の岩の寄せ集めで(六角形の鉛筆を束ねたようなイメージ)一枚岩ではないため、岩は硬いが、もろく崩れやすい。(下記画像参照)

※1 凝灰岩(ぎょうかいがん)…火山灰が固まって岩になったもの。

※2 ひん岩…マグマが冷えて固まってできた火山岩の一種。安山岩た玄武岩も同じ仲間

※3 柱状節理(ちゅうじょうせつり)…マグマが冷えて固まる際、収縮して四〜六角形の柱状の岩になったもの。

柱状節理

柱状節理

清津峡の歴史

温泉の存在は、今から約300年前の元禄年間にはすでに知られていた。
そのころから、温泉開発の話はあったのだが、地形など多くの問題があり、長い間手がつけられずにいた。

1862年(江戸時代 文久2年)
地元の人により温泉場がつくられた。

1941年(昭和16年)
峡谷美と柱状節理の地形が見事であるということで、国の名勝・天然記念物に指定された。

1949年(昭和24年)
上信越高原国立公園の一部として指定され、温泉街も整備された。

1984年(昭和59年) 2月
大規模な雪崩がおき、温泉街の一部を直撃し多くの死傷者をだした。

1988年(昭和63年) 7月
清津川に沿って、清津峡温泉から八木沢にぬける清津登山道で落石事故があり、以来、この歩道の通行は一切禁止となった。

渓谷トンネル建設の経緯

清津峡登山道の通行禁止となって以降、地元や観光客から、柱状節理の峡谷美が見事な場所(屏風岩)を見ることができるようにしてほしいとの要望を受け、環境庁(国立公園担当)、文化庁(天然記念物担当)、新潟県などと旧中里村(現十日町市)との間で検討が始まった。

そこで、

  • ①閉鎖した遊歩道の再開は不可能。
  • ②岩が崩れやすく安全な歩道の整備は困難。
  • ③国立公園内であり、外観を損なう大規模な人工物の建設は認められない。
  • ④国立公園とはひろく国民に利用されることが目的であり、観光資源としてもこのまま放置しておくことはできない。

などのことから、歩道の代替施設として、国立公園としての外観を損なわずに峡谷美を安全に鑑賞することができる「歩道トンネル」の建設が決まった。

1992年(平成4年)

歩道トンネル建設工事の着工(中里村が事業主体。総工費約20億円)

1996年(平成8年)10月

清津峡渓谷トンネルを開坑(川沿いの歩道は、現在も立ち入り禁止)

現代美術による再生

開坑後、20年以上が経過する中で入坑者数は年々減少し、年間5万人程度まで落ち込んでいた。こうした状況を打開するため、十日町市・津南町で3年に一度開催される「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」に合わせてリニューアルした。

2018年(平成30年)4月

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2018」の作品としてトンネル施設のリニューアルとエントランス施設を新設(作品名「Tunnel of Light」)。

2021年(令和3年)4月

「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2021」の新作として第二見晴所に作品を追加

清津峡渓谷トンネルの全長は750m。
3ヶ所の見晴所とトンネルの終点となるパノラマステーションからは、素晴らしい峡谷美を堪能することができます。
特に、終点のパノラマステーションでは、峡谷の景色を水鏡で反転させた幻想的なアート空間が広がります。

峡谷美に映えわたる柔らかな新緑、涼やかな清流、鮮やかな紅葉、水墨画のような冬景色。
それぞれの季節をお楽しみください。
また、トンネル内の所々には清津峡の四季や自然などの成り立ちを紹介するディスプレイコーナーがあります。

清津峡の四季

5月上旬〜6月下旬 新緑と清流の見頃

春

雪解け水が流れ、遅い春がくると新緑が一斉に芽吹き、景色は一気に無彩色から有彩色へと変わります。

冬の間繰り返された雪崩が積み重なって固くしまった残雪が谷底の所々に見られます。

川の一部では残雪がおおいかぶさっていますが、その下はちゃんと水が流れていて川がせき止められるようなことはありません。

雪は地表面から溶けていくので、川面の雪がトンネル状に溶けて天然の橋のような形になったものもあります。

運がよければ、雪のかたまりが大音響とともに川に崩れ落ちる光景が見られることでしょう。

残雪の表面は、雪崩や風の力によって周囲の森林から集められた枯れ葉や土砂が降り積もって茶色く覆われています。

残雪は6月頃まで残ります。

4月末頃から新緑が始まります。新緑は木の種類によって微妙に色が異なり、秋の紅葉にも劣らぬ美しさです。

雪の溶けたばかりの土手には早春の可憐な花が咲いています。

7月上旬~10月中旬 清流あそび

夏

深い緑と清らかなせせらぎ、峡谷は観光シーズンを迎えます。

河原に降りて冷たい水に足を浸す人の姿も。

外は30度を超える事もしばしばですが、トンネルの中は21~24度くらいで寒く感じることすらあります。

坑内は日が当たらず、常に清流の涼しい風が吹いているためで、まさに天然のクーラーです。

ただし、湿気の多い川風が坑内で冷やされ結露するため湿度が高く(90%超)、
この状態は外と中の気温差が激しい夏の間毎日続きます。

10月下旬~11月中旬 紅葉の見頃

秋

寒暖差の激しい清津峡の紅葉と岩礁とが織り成す造形は、
どんな絵の具をもってしても表せないほどの見事さです。

清津峡が最もにぎわう季節です。10月中旬から11月上旬が混雑時期です。

紅葉は10月なかば頃から始まり、10月末から11月初め頃が見頃となります。

緑色が薄くなり、黄色が目立つようになり、やがてほとんどが黄葉となりますが、所々に鮮やかな紅葉が見られます。

清津峡は春季の雪崩により、木々の状況が毎年変化します気候の変化も相まって、毎年違う色合いを見せます。

11月中旬には来る雪に備えて落葉を始めます。

11月中旬~5月下旬 雪景色

冬

新潟の中でも雪深い清津峡。

荒々しく刻まれた柱状節理の荘厳さと白い雪のコントラストは一服の水墨画のようです。

例年、11月下旬に初雪が降ります。初雪はいったん溶けて、根雪になることはほとんどありません。

12月なかばには本格的な雪となり、積もりはじめます。

里にくらべると粉雪で軽い雪質ですが降る量も多く、1日で1メートル以上積もることもあります。

道路は除雪されるので通行はできますが、両側に高さ2メートルを超える雪の壁が出現し、
崖沿いでは小規模な雪崩で道がふさがれることもしばしばです。

※冬期の渓谷トンネルは、雪の状況で臨時休業となる場合があります。